自分のセルフ・イメージ
「自分が持っているセルフ・イメージは最初からそういうイメージが
自分固有のものとして湧きでたのではなく、たとえば君はじっくり
物事を考える人間だというような他人の言葉が出発点になっています」
( 「 」 は引用です。以下同じ)
この文章を読んだとき、わたしの場合小学校の先生の{あなたは◯◯
のところがあるわね}という言葉がすぐに思い浮かびました。
その言葉はわたしの両親にも言われていてそれ以後両親までが節目
でその言葉をつかい励まされた記憶があります。
苫米地英人さんはコーチングもしていますが、プログラムのなかに
セルフ・トークという言葉があるそうです。
「これはふだんなにげなく自分について感じたり、思ったり、あるいは
言葉に出していうときの言葉を指していますが、セルフ・トークもほぼ
100%、過去に他人が自分について話した内容にもとづいてつくられて
います。自分が他人になりかわって他人の言葉を自らに言い聞かせて
いるというわけです。空恐ろしいことだと感じないでしょうか?
こうしてみると、人間がいかに過去に他人から聞かされてきた言葉に
左右される存在か、よくわかると思います」
他人の価値観
人間が自分だけの価値観を見つけるのは容易ではありません。
生まれてからまず親の価値観を、育っていくにつれ学校教育や
テレビ新聞等のマスコミから発せられる価値観のなかで自分の
価値観をつかんでいかないとならないからです。
その時代に生まれたらその時代に醸成された価値観から完全に
人は自由にはなれないかもしれない。
「神の存在や他人が勧める価値に依存することは、心の安定を
もたらしやすい行為です。しかし他人の価値に沿った生き方をして
人生の満足感は得られない」
この本で宗教を語っているのはこの結論をいいたかったと思います。
コンフォートゾーンの外側に立つ
「心から満足する人生を送るためには自分の人生のゴールを自分で
決めることです。しかもそのゴールは現状のコンフォートゾーンの内側
ではなくその外側につくります」
このことばは自分の限界を自分でつくるなということではないかと
また、ゴールを現状の居心地の良いコンフォートゾーンから一歩踏み出した
ところにおき、自分の夢であるゴールにむかうことがその人間に成長を
もたらすのだということとうけとめました。
この本のなかで「中国から日本にはいってきた仏教は、道教化された仏教と
儒教が混じりあったもので、その証拠に位牌の概念がいまだに受け継がれて
います。もともと仏教に位牌などなくそれは儒教や道教に固有のものなのです」
また、「釈迦はいわゆる荒行を否定していて、釈迦がいう修行は瞑想です」
と書いてある箇所は興味深いものがありました。
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編集後記
昨日 スイム 500m
日の出5時19分ですが5時前から外は
明るくなってきました。
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kiyo117
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